2014年05月29日

NHK朝ドラ「花子とアン」と伊藤伝右衛門の鳥居

この4月の放送開始以来、平均視聴率が8週連続で21パーセントを超え
(関東地区での数字)、好調なNHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」ですが、
その中で、吉高由里子さん演じる主人公、安東はなのモデルは、
「赤毛のアン」を最初に訳した翻訳家、児童文学者の村岡花子
(結婚前の本名は安中はな/1893〜1968)ですが、
その「腹心の友」で、仲間由紀恵さんが演じる葉山蓮子のモデルは、
歌人として知られた柳原白蓮(本名はY子/1885〜1967)です。

ドラマをご覧になっている方であればすでにご存じの通り、
葉山蓮子は、伯爵家の令嬢でありながら、家の経済的事情もあり、
親子ほども歳の離れた九州の炭鉱王、嘉納伝助の下に嫁がせられ、
それまでとはあまりにも違う福岡での生活に戸惑い、苦労を重ねていきます。

この嘉納伝助のドラマの中での描かれ方はなかなかに凄まじく、
お金はあるが、全くの無教養で田舎者丸出し。
当然、食事の際のマナーなどまるでなっておらず、
口を開けば

「女子(おなご)は勉強やらし過ぎん方が可愛げがあっていいとたい」

という具合で、今の基準では女性差別と取られるような発言を平気でしてしまう始末。

この伝助も実在の人物がモデルとなっており、
筑豊で一介の労働者から九州の炭鉱王にまで上りつめた立志伝中の人物、
伊藤伝右衛門がその人ということになります。
史実でも、1911年(明治44年)に柳原Y子(白蓮)を妻に迎えますが、
やはり夫婦仲には問題があったようで、
後に白蓮に若い愛人を作って家出され、
新聞紙上で絶縁状まで叩きつけられることになります(白蓮事件)。

しかし、伝右衛門はただの金の亡者だったわけではなく、
地元に対しては多大な功績も残しています。

ドラマでは、蓮子の夢を打ち砕くエピソードとして使われた学校の創設話(第46話)にしても、
実際の伊藤伝右衛門は、教育を全く受けることができなかった自分の経験から、
貧しい学生に学費援助を行なうことに熱心な人物であったようです。
また、伝右衛門による1910年(明治43年)の
嘉穂郡立技芸女学校(現福岡県立嘉穂東高等学校)創設に関しても、

「個人が全額を出資し、しかも一切条件を付けない学校というのは前例がなく、
数カ月かかる設立許可がわずか三日で下りたことも語り草になっている」

「金は出しても口は出さない、というのが伝右衛門の信念で、
伊藤の名前を残さなかったのもそのためであった」

(いずれも引用元は『西日本人物誌[20] 柳原白蓮』井上洋子著/西日本新聞社/2011年)

と、むしろ伝右衛門の懐の大きさを伝えるエピソードとして伝えられているほどです。

そんな伊藤伝右衛門の地元への貢献の証のひとつが、
太宰府天満宮参道に今でも残っています。
参道を上って来る途中にある二番目の鳥居(二の鳥居)がそれです。

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裏に回ると、製作に当たった石工の名前と共に、
寄贈者である伊藤伝右衛門の名前が刻まれています。

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明治45年(1912年)6月のことのようですから、
伝右衛門と白蓮の結婚の翌年のことということになり、
彼がどういう心情からこの鳥居を寄贈したのか、について、
参道を上りながら考えを巡らしてみるのも、また興味深いのではないでしょうか。

なお、柳原白蓮が「筑紫の女王」と呼ばれ、福岡の文化人サロンの華であった時代には、
太宰府を訪れたこともあったようで、観世音寺をテーマにした短歌なども残されています。
posted by teradaya at 16:20 | 日記