2014年05月11日

九州国立博物館特別展〜華麗なる宮廷文化 近衛家の国宝 京都・陽明文庫展

昨年の富士山に続き、今年も富岡製糸場がユネスコの世界文化遺産に登録されることが
ほぼ確定したというニュースが大きな話題になっています。
富士山と同じ時期に、やはりユネスコの世界記憶遺産の方に登録された国宝、
藤原道長自筆による『御堂関白記』の現物が、参道すぐ近くにある
九州国立博物館で現在公開中なのをご存じでしょうか?

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この貴重な『御堂関白記』が観覧できるのは、
6月8日まで開催中の特別展「華麗なる宮廷文化 近衛家の国宝 京都・陽明文庫展」
藤原道長はご存じの通り、平安時代に摂関政治で政治権力を独占した藤原氏の一番の大物。
天皇の代理として政務を司る摂政、関白などの役職を利用し、
さらに娘を皇室に嫁がせ、その子供である次代の天皇の外祖父となるような手も使って
政治の実権を握り続けた藤原氏の中でも、
自分の3人の娘を三代の天皇の后にすることに成功し、その頂点を極めたと言われる人物です
(江戸時代の写本から採られたという『御堂関白記』という呼称とは裏腹に、
道長は実際には関白には就いてないのですが…)。

5月3日に国博で講演された、『御堂関白記』研究の第一人者、
倉本一宏 氏(国際日本文化研究センター教授)によれば、
ライバルらしいライバルもいなくなった状態で30年以上もの間
「実質的な最高権力者として君臨できた道長のその権力の強大さは、
日本の歴代政権の中でもトップで、
織田信長や徳川家康でも敵わないものであったろう」ということです。

『御堂関白記』の面白さは、今から約1000年も前に栄華を極めた人物の手により、
政務や儀式にまつわることを中心に日々の活動がこと細かに記録されている
ことにあり、当時の貴族たちの生活ぶりまでが伝わってくるのです。

この「日記」は、具注暦と呼ばれる、日付と共に毎日の吉凶が記された暦の
余白に書かれていますが、そうした体裁にも興味深いものがあります。
現代に置き換えて考えると、日付入りの手帳に備忘録的な意味を込めて
日記を書き込んだようなイメージでしょうか。
手帳と同じように、まるで機械で印刷されたように罫線がきれいに墨で引かれていたり
(先の倉本先生によれば、たまにちょっとゆがんでる箇所もあるそうですが)、
後で参照しやすいように付箋が貼られている箇所まであったりと、
現代のビジネス手帳と変わらない機能が備わっているだけではなく、
我々とそう違わない使い方がされていることにも驚かせられます。

また、『御堂関白記』の場合、全体の4分の1程度が、
後代に作られた写本ではなく、道長本人の自筆のもので残っているというのも
特筆すべきことです。
自筆で現存する日記としては世界最古のものということになるようですし、
必ずしも達筆とは言えないその筆致から、あるいは書き直した箇所や墨で消してある部分
(裏から光を当てるなどして、何文字かは解読に成功したそうです)から、
藤原道長という人物の人間性までが浮かび上がってくるのです。

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今回の特別展では、寛弘六年(1009年)11月25日の、
道長の娘、彰子(しょうし)と一条天皇の間に、
道長の外孫、皇子敦良(あつなが/後の後朱雀天皇)が誕生した日の部分などを
実際に見ることができるようになっています。

なお、この彰子に仕えていた女性のうちの一人が紫式部で、
あの『源氏物語』がほぼ完成を見たのは上のエピソードが書かれた前の年、
という説があることも背景情報として押さえた上、
想像力を働かせながら眺めてみることをお勧めします。

倉本先生によれば、この『御堂関白記』、
藤原氏直系の近衛家に伝わる秘宝20万点を収めた京都の陽明文庫の中でも
一番奥に厳重に保管されているのかと思いきや、実はそうではなく、
入って一番すぐの場所に置かれているそう。
それは、非常時には真っ先に持ち出せるように、という配慮からなのだそうです。
そのような貴重な「国宝」を実際に目で確かめる滅多にないチャンスが現在開催中の
特別展「近衛家の国宝 京都・陽明文庫展」なのです。

なお、5月13日の展示替え以降は、写本ではありますが(自筆は現存せず)、
『御堂関白記』の長徳元年(995年)の書き始めの部分も展示されるそうです。
posted by teradaya at 15:02 | 日記