2019年04月08日

「梅花の宴」が開かれた大伴旅人邸の場所に関するもう一つの説

4月1日のブログ(http://umegaemochi.sblo.jp/article/185797640.html)でも引用した
森弘子さんの『太宰府発見』(梅鳥社/2003年)に興味深いことが書いてありました。

それによれば、大伴旅人の邸宅があった場所については『太宰府小史』(太宰府天満宮/1952年)
の中で竹岡勝也先生(当時は北海道大学教授)が

「都府楼址(註=大宰府政庁跡)の西北に、藏司の丘と坂本とを結ぶ台地あり。(中略)この大地には今日八幡宮があり、
その近くに一つの礎石を遺して居る。附近には相当の広範囲に亘つて瓦や土器の破片が散乱し、
当時何者かゞあつた事を想像させる場所であるが、この台地こそは帥や大弐の館の址であると考へられない事もない。
その位置が相応しいといふのみならず、大伴旅人の歌に、こゝならば当てはまるものも何首かゞある」

と、『万葉集』に収められた旅人の邸宅に触れたと思われる数十首の歌の中に「丘」という言葉が多く出てくることに注目しつつ、
旅人の邸宅があった位置を、現在坂本八幡宮がある辺りとした「推定案」が一人歩きし「伝説の地」となってしまった。
しかし、その後の発掘調査により、必ずしも万全の説とは言えなくなってきているとのこと。

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写真は葦書房からの復刻版(1980年)

一方で『太宰府発見』では、赤司善彦氏(現・大野城心のふるさと館館長)による、
政庁跡東側の月山地区官衛跡説も紹介されていました。

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月山地区は、坂本八幡宮からは政庁跡を挟んでちょうど反対側の太宰府展示館のすぐ東側ですので、
坂本八幡宮のついでにこちらも見て回ることで、ちょっとひと味違う「令和」の発祥地巡りを
楽しむこともできるかと思います。

そうやって万葉のふるさと「大宰府」を満喫するには、当店も掲載していただいている「だざいふなび」の
散策案内(http://dazaifu-navi.com/tour_detail05.php)が役立ちそうです。
こちらも是非ご覧になってみてくださいませ。





posted by teradaya at 16:34 | 日記

2019年04月06日

坂本八幡宮への行き方について

新元号「令和」の由来が日本最古の歌集『万葉集』に記された「梅花の宴」の序文にあることが
報道されて以来、当店でもお客様から、坂本八幡宮へはどうやったら行けるのか?
と聞かれることが増えましたので、簡単に説明をしてみたいと思います。

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これもすでにテレビや新聞などのニュースで多く取り上げられているように、その「梅花の宴」が
開かれた当時の大宰帥で、歌人でもあった大伴の旅人の館があったと思われる場所にある神社で、
そこには大伴の旅人の歌碑も建てられています。

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さてその坂本八幡宮の場所ですが、大宰府政庁跡のすぐ隣。もう少し詳しく言いいますと、
政庁跡奥の北西側に位置しています。

天満宮参道からは徒歩ですと20〜30分ほど時間がかかってしまいますが、
西鉄太宰府駅前から1時間に2〜3本程度出ているコミュニティバス「まほろば」号の
都府楼前駅行きにお乗りください。

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約15分ほどで大宰府政庁跡のバス停に着きますが、そのバス停からは道の向かい側には、
博多人形による「梅花の宴」再現ジオラマで有名になった
大宰府展示館が見えます(嬉しいことにここは入場無料。
館内はそのジオラマも含め、写真撮影可のものが多いです)。
その左にある緑いっぱいの大きなスペースが大宰府政庁跡になります。

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坂本八幡宮まで行くには、さらに左側(西側)にある駐車場の横にある小道に入っていきます。
 
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3〜4分ほど緩い坂道を上っていくと、左側に見えてくるのが坂本八幡宮になります。
道の右側は現在、花見駐車場となっていますので、お車でいらっしゃる方はそこが便利です。
道も狭く平日でも渋滞、というような状況になっていますので注意が必要です。

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隣の大宰府政庁跡は今は桜が満開。
坂本八幡宮での参拝の帰りは、桜を愛でながら政庁跡を散策してみられることをお勧めします。

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太宰府市のサイト内にアップされている下の資料にも
わかりやすい地図が添えられていますので、参考になるかと思います。


新元号「令和」ゆかりの地太宰府

http://www.city.dazaifu.lg.jp/material/files/group/1/0507reiwapanhu.pdf
 
この資料は太宰府駅構内の観光案内書などでも配布されております。

なお、大宰府政庁跡には、西鉄大牟田線の都府楼前駅発、太宰府駅行きの
「まほろば号」に乗って行くこともできます。
posted by teradaya at 19:45 | 日記

2019年04月01日

太宰府にも縁のある新元号「令和」が発表されました

4月1日、新元号が「令和」に決定したと菅官房長官より発表されました。

この二文字は、『万葉集』の梅花 (うめのはな) の歌32首の「序」として漢文で添えられた文の中の、

「初春の令月 (れいげつ) にして、気淑 (よ) く風和ぎ、梅は鏡前の粉を披 (ひら) き、蘭は珮後 (はいご) の香を薫す」

から引用されたものだそうです。

この部分の現代語訳は以下をご参照ください。
http://manapedia.jp/text/5673

書き手に関しては大伴旅人説もあれば山上憶良説もあるようですが、大宰帥
(だざいのそち。今のここ太宰府にあった九州地方の行政と外交を担当する役所の長官)
の地位にあったその大伴旅人邸で天平二年(730年)に開かれた梅の花を愛でる宴のことが
書かれているとされています。

『万葉集』には、その宴で詠まれた歌が収録されています。
それだけではなく、この宴そのものが
 
≪海外との門戸である大宰府において、当時輸入されたばかりの、学問のシンボルでもある花を
テーマとして、中国に発する文芸の宴を日本固有の和歌で行った「梅花の宴」こそは、
まさに大宰府文化を象徴するものと言える≫
(森弘子著『太宰府発見 歴史と万葉の旅』より)

とも評されるものなのです。

今の太宰府でも毎年、厳しい冬の後、早咲きの飛梅から始まり、天満宮境内の梅の開花を話題にすることが
風物詩のようになっており、太宰府ではこの新元号の発表に早くも歓迎ムードが盛り上がりつつあります。

大伴旅人の名から名前をとった西鉄(西日本鉄道)の観光列車「旅人」に乗って、太宰府に是非越しくださいませ。
寿庵寺田では、名物・梅ヶ枝餅や数々の梅の製品をご用意してお待ちしております。
 
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posted by teradaya at 16:37 | 日記