森弘子さんの『太宰府発見』(梅鳥社/2003年)に興味深いことが書いてありました。
それによれば、大伴旅人の邸宅があった場所については『太宰府小史』(太宰府天満宮/1952年)
の中で竹岡勝也先生(当時は北海道大学教授)が
「都府楼址(註=大宰府政庁跡)の西北に、藏司の丘と坂本とを結ぶ台地あり。(中略)この大地には今日八幡宮があり、
その近くに一つの礎石を遺して居る。附近には相当の広範囲に亘つて瓦や土器の破片が散乱し、
当時何者かゞあつた事を想像させる場所であるが、この台地こそは帥や大弐の館の址であると考へられない事もない。
その位置が相応しいといふのみならず、大伴旅人の歌に、こゝならば当てはまるものも何首かゞある」
と、『万葉集』に収められた旅人の邸宅に触れたと思われる数十首の歌の中に「丘」という言葉が多く出てくることに注目しつつ、
旅人の邸宅があった位置を、現在坂本八幡宮がある辺りとした「推定案」が一人歩きし「伝説の地」となってしまった。
しかし、その後の発掘調査により、必ずしも万全の説とは言えなくなってきているとのこと。
写真は葦書房からの復刻版(1980年)
一方で『太宰府発見』では、赤司善彦氏(現・大野城心のふるさと館館長)による、
政庁跡東側の月山地区官衛跡説も紹介されていました。


月山地区は、坂本八幡宮からは政庁跡を挟んでちょうど反対側の太宰府展示館のすぐ東側ですので、
坂本八幡宮のついでにこちらも見て回ることで、ちょっとひと味違う「令和」の発祥地巡りを
楽しむこともできるかと思います。
そうやって万葉のふるさと「大宰府」を満喫するには、当店も掲載していただいている「だざいふなび」の
散策案内(http://dazaifu-navi.com/tour_detail05.php)が役立ちそうです。
こちらも是非ご覧になってみてくださいませ。